今を取り戻す

振り返っても今は、もういない。でも、いつか、取り戻すことはできると信じて。

チームは、個人の可能性を最大化するためにあるのではないか

 僕自身は、個人の力を信頼している。

もちろんチームになることで、その個人の力が単なる倍々ではなく、想像できないような広がりが起きることも理解している。

 

でも、チームで話し合うことに果たして意味があるのかは分からない。

はっきりした個人の意見があって、そこにチーム内の他者が様々な切り口からツッコミを入れ、その1つの意見を磨いていく。

尖った部分を誰にも理解できるように丸くするのでなく、磨いて、更に鋭くしていく。

そこにこそ、チームが存在する価値があると思っている。

 

なので、ブレストというものは、選択肢を広げたり、チーム内のコミュニケーションを活性化する以外の意味は無いと思っている。

「互いの意見を否定しない」みたいなルールも定められてはいるが、言葉には出さなくても人間の正直な反応は出てしまう。

その反応によって、もしかすると最も尖っていたかもしれない意見は、押し隠されることになるかもしれない。

 

確かに、様々な切り口からの意見が集まることで、解決策の選択肢自体は広がるかもしれない。しかし、選択肢が広がることばかりが良い訳ではない。

 

イデアや企画は、実現されなければ無意味だ。

むしろ、選択肢を増やすことは、そのやらなかったこと、やれなかったことに対する後悔の可能性を増やすということだ。

 

ブレストなんてやらず、一人ひとりが意見を持ち、それを自分自身で責任を持って実現する覚悟を持った者をチームは支え、磨いていくべき。

 

矢面に立つ勇気を持った個人の可能性を最大化することに努めるべき。

 

もちろん、その1人のためだけに回るのでは、周りの人間は面白くない。

なので、1人ずつ交代すれば良いのだ。矢面に立つ準備が出来た人間に交代していけば良いのだ。

世界的なアニメ会社ピクサーの体制はそんな感じに見受けられる。

毎回、監督(矢面に立つ人)が変わり、その人(時に数人)の作家性を活かした作品を、他の作品の監督やスタッフの方々が磨いていく。

あの数々の名作、それぞれの個性に溢れた作品は、個人の力を活かしたからこそ生まれたのだと思っている。

 

矢面に立つ勇気を持つことのできなかった人間は、その分、面白いことは出来ないかもしれない。

でも、もしかすると、支えること自体に生きがいを感じる人もいるかもしれない。

 

人間それぞれ。

 

色々な意味で落ち着いて、丸まった感のある日本。

 

これからは、突出した勇気ある個人を支えるようになって欲しい。

メディアをやるならローカルの時代

 

新宿で3時間の映画を2本連続で観てきた。

それが『バンコクナイツ』と『サウダーヂ』。

www.bangkok-nites.asia

www.saudade-movie.com

 

前者はタイのバンコクを舞台に、後者は山梨県甲府市を舞台に作られた映画。

当然、フィクションです。しかし、そこで描かれている事象は決してフィクションだとは思えない。

それもそのはず。両作品共に、富田克也監督はじめスタッフが現地に長期間、滞在し、現地の人の声を元に作った作品とのこと。

いくつかの事実をベースにつくった作品なのである。

 

作品自体の紹介は、様々な記事でされているのでそちらに譲るとして。

www.mammo.tv

ameblo.jp

www.youtube.com

 

www.asahi.com

 

この作品を観て、改めて「ローカル面白い!」と思った。

 

その土地のあるがままを描くだけで面白い。

当然、2作品は、しっかりした役や台詞があり、ドラマを作られいる。

だが、そこの背景に移るリアルな街の風景が面白い。

 

面白いなんて不謹慎かもしれない。

しかし、僕自身は観たことのない風景を観ると興奮してしまう。

 

タイにあんなに日本語のネオン看板がきらめく通りがあるなんて。

甲府にブラジル人が集まるクラブがあるなんて。

 

東京に生きていると、タイに行かないと、知らないことばかり。

 

もちろん、そんな新鮮な光景を持つ地域も限られるかもしれない。

ありきたりな”日本的な田舎”を持つ地域も多い。

 

でも「人」は違う。

 

「人」はもちろん、一人ひとりが違うが、地域ごとになんとなくの傾向を持っているような気がする。生まれ持ってだけでなく、環境要因によって正確が形作られることも多い。

 

それぞれの地域ごとの「人」にフォーカスすること。

 

最近にはじまった話しではないが、マスメディア、特に、新聞やテレビのニュース番組は決まって同じニュースばかりを扱う。

それぞれに違った切り口や意見が設けられていれば、その多くは大きく変わらない。

それならば、もっと地域のニュースを紹介すれば良いのに!

自分が住んでいる半径5kmくらいのニュースをもっと紹介してくれれば良いのに!

 

住む人の数だけドラマがある。

「誰でも15分間は世界的な有名人になれる」by アンディ・ウォーホル

誰もが一生の内に一度は、自分以外の誰かを感動させることを行っているはず。

 

今、新しくメディアを立ち上げたい人がいるのなら。

何か特定のジャンルを扱うにしても、ローカルを意識した方が良いだろう。

既にあらゆるジャンルのメディアは出尽くしていると思う。

新たなジャンルが生まれたとしても、話題になるジャンルはすぐに大手が手を出してくるだろう。

 

ローカルは違う。

市区町村、小さな切り口であればあるほど、カブらないネタは増える。

万が一、カブったとしても、そんなに多くのメディアがそのネタを扱う訳がないのだから、差別化はしやすい。

 

そして、少なくとも、住民の方はそのメディアを目にする。

地域に役立つ情報を提供したならば、必ず。

 

収益化は課題となるが、メディア単体で儲けようと思わずに、地域の方に役立つサービスを提供することで収益を得ることを目指すと良いだろう。

 

アメリカでは「ローカル性」が「反グローバル」や「鎖国」のようなネガティブな切り口で捉えられているような気がするが、時代はローカルに向かっていると思う。

 

これから、より多くの地域の魅力を発信する場が増えていくのが楽しみだ。

意識的に思考すること

 今日から思いつくがままに書く習慣をつけたいと思う。

機能、思いつきではじめたブログのように、時間を決めて、ただひたすらに書く。

まずは15分。短めの時間と想定しているが、果たしてどうか。

 

急に15分で何か書けと言われても何も思いつかないことが多いだろう。

そのネタを考えるために、ツイートを利用してみる。

 

ツイートはその時その時の考えを発している。

140字と短いので、ほんの思いつきで考えまで落とし込めていないことが多いが、こうしたブログのような場で深めれば良いのではないか。

 

そう思うので、基本的には、ツイートを引用する形で話題を展開していこう。

 

「思考」について。

ちょうど、昨日、未来授業というラジオ番組の池澤夏樹さんの会を聞いた。

www.tfm.co.jp

 

最後の会だったか、ツイッターで感情的な言葉が並ぶことに警鐘を鳴らされていた。

 

かつて、言葉を世の中に発することは難しかった。

誰か特定の人に届けるためなら、まだしろ、多くの人に一度に届けるためには、新聞だったり、本だったり、ラジオだったり、もう少し後だったらテレビだったり。

いずれにしろ、どこかしらの企業やら媒体を介していたのだ。

フィルターがあった。

 

しかし、今、SNSにはフィルターがない。

自分が思ったことをすぐに、一度に多くの人に届けることが出来るようになった。

 

しかもmixi日記の時代には、まだ、長文を考えなければいけないような空気があったが、ツイッターは140字で済む。スナップチャットなんて数秒の動画で済む。しかも、すぐ消える。

 

思いは、思考に落とし込まれる前に、感情の状態で発される。

発されることにより表現浴や自己顕示欲は満たされる。

 

 

感情を発すること自体が悪いわけではない。

しかし、感情でしか語れない状態に陥ることは非常にマズい。

 

感情は、得てして中間を失いやすいから。

YESかNOか、いずれかの選択を強いられがちだから。

 

極端なYESの、極端なNOの繰り返しは、いつか対立を生む。

 

感情に流されるのは楽だ。

考えなくて済むのは楽だ。

 

でも、争いのない幸せな社会を望むならば、僕達は考えなくてはならない。

 

そして、意識的に思考するためには、独りの時間を持つことが大事な気がしている。

 

ツイートに書いたように、最近、仕事以外の時間、なるべく話さないようにしている。

意識的に人との接触を避け、言葉を口から出さないようにしている。

 

そうすることで、言葉が手に向かうようになる。

書く方向に気持ちが向く。そして、書くことはその流れを考えること、つまり思考につながる。

 

話さない→書く→思考する

 

の流れを当分、意識していきたい。

 

※これから取材やインタビューを重ねることになるので、聞くための言葉は使っていく。が、なるべく、自分自身の意見を安易に言葉で発しないようにしていく。

 

 

 

今を取り戻せるように

ブログをはじめたのはほんの気の迷い。

いや、いつかは、はじめようと思っていたのだけれど、なかなかタイミングがつかめず。はじめてみたことは何度もあるけれど、長くは続かないことが多かった。

だから、このブログも長くは続かないかもしれない。

 

気の迷いのきっかけは今日という日だ。

 

今日という日に読んだ詩。

 

「最後だとわかっていたなら」
ノーマ コーネット マレック(作)/佐川睦(訳)

http://www.sanctuarybooks.jp/saigodato/poem.html

 

何時かは分からない。

1秒後かもしれない。10年後かもしれない。

自分のことかも、大切な誰かかもしれない。

 

その最後に後悔を減らすために。

 

今を残しておく。

 

誰かが、もしくは、僕自身が、

いつか僕の「今」を取り戻すことができるよう、

今の思いや、今の行動を残しておく。

 

基本的には、思いつくままに書いていく。

時間が取られてしまうと長続きしない。

限られた時間の中で思うがままに書き連ねていく。

校正はしない。誤字脱字の修正もしない。

 

でも、自分自身に嘘はつかないように。

嘘の「今」を残しても意味はない。

 

いつかの「今」のために。